品質・食品安全・環境について

日本最初の茶書、茶の薬用性を説く「喫茶養生記」を著した臨済宗の開祖、栄西。
その弟子であり、京都の東福寺を開いた聖一国師が、鎌倉時代に宋から茶の種子を持ち帰り、わが国に伝えたと言われています。
西尾市にある実相寺で東福寺の末寺として聖一国師を招いた折、宋から持ち帰られた茶の種を実相寺の境内に蒔いたのが、西尾茶のはじまりです。

鎌倉時代に伝わった西尾茶が本格的に栽培されるようになったのは明治時代です。
家康の伯母の菩提を弔うために建てられたと伝えられる紅樹院の住職、34世足立順道が、京都の宇治から茶の種を持ち帰り、境内を開墾して茶園を開きました。
矢作川の肥沃な土壌、、上質な茶を育てる条件の川霧の発生、温暖な気候という恵まれた自然条件のもと、茶栽培はどんどん拡がりました。

明治十年代には、製茶技術も導入されて、上町や寄近町付近の農家が栽培を始めるようになり、茶園は、やがて北側の高台にまで拡がります。
明治四十年代には本格的な加工販売も始められ、西尾の稲荷山一帯に拡がる大茶園から産出される茶は、西尾茶としてやがてその名を全国に轟かせるようになりました。

代々受け継がれてきた西尾茶発展の志

その西尾で、初代本田安太郎氏が荒れ果てた耕地を開墾して茶園を開いたのが葵製茶の始まりです。
当時はまだ機械もなく、蒸した茶の生芽をホイロで焙じ、手もみの玉露を作っていました。製茶が自動化されるようになったのは昭和5~6年のことで、二代目本田明治により、本格的な玉露と碾茶の製造が始まります。

本田明治は西尾茶の販路開始に生涯を捧げたことで、今なお語り草になっています。
組合長を引き受け、町議や県議、茶業連合会長を勤めながら、昭和30年に全国製茶品評会を西尾市で開催させることに成功。みごと碾茶の部で優勝を果たすなど、葵製茶だけではなく西尾茶の基礎を築き上げました。

二代目の遺志を継いだ三代目本田忠彦は、宇治市で製茶技術を学んだ後、これまでの製造主体体制から卸販売への転換を図ります。
昭和41年、葵製茶有限会社を設立し、生産量も一日600キロと大規模化しました。その生産量も現在では一日1・5トンとなり、多様なニーズに応えられる上質な抹茶を提供しています。

葵製茶の歴史は西尾茶発展の歴史。西尾茶を全国へ知らしむべく、代々の当主が尽力を重ねながら今日まで歩んでおります。

そして西尾茶は葵とともに海外へ

海外へ

現在、日本の食に世界の注目が集まっています。その中で葵製茶では日本の文化である抹茶を世界に広めるため、健康食品展示会やオーガニック食品イベントに積極的に参加しています。
平成19年2月にはアメリカ現地法人を設立し、海外のあらゆる顧客ニーズに対応できるような体制を整えました。
http://aoitea.com/

オーガニックの抹茶を中心とした安全で高品質な葵の抹茶は海外でも高い評価をうけております。
徳川ゆかりの三河で伝統的な農法により育まれた西尾の抹茶は葵の紋と共に、海外で広く日本の心と抹茶の文化を伝えています。